2018年12月8日1 分常吉、七宝壊したってよ尾張七宝の始まりは、天保4年(1833年)に梶常吉が作り始めたと言われている。 常吉は名古屋末広町の骨董商松岡屋嘉兵衛の店先でオランダ船が運んできたという七宝焼きを見て、あまりの美しさに心を奪われた。それから、寝ても覚めても七宝焼のことを考えるようになり、焼物師である自分も...
2018年11月28日1 分登竜門伝説②江戸時代に端午の節句が近づくと武家では屋敷の玄関先に家紋の入った幟や旗指物、吹き流しなどを飾り祖先の武勲をたたえるとともに、子供の健やかな成長や立身出世を祈るのが習わしとなっていた。 のちに町人が武家の習慣を真似て、吹き流しなどを飾るようになり、飾るものを鯉に変えて飾り始め...
2018年11月25日1 分ヌシ漆器に漆を塗っていく職人のことを「塗師(ぬし)」と呼ぶ。 漆器は分業体制で作り上げれらることも多く、器の木地を作る職人は「木地師」、蒔絵を施す職人は「蒔絵師(加飾師)」と呼ばれている。 分業でなく一人で複数の工程をこなす職人も当然おり、産地によって製作工程などは違いがある。...
2018年11月14日1 分1867・パリ②1867年(江戸時代も終わりの頃)にパリ万博が開かれた際に、尾張七宝は初めて出品された。その七宝焼きを見た多くの外国人がその美しさに惹かれ、たくさんの作品が海外で買われた。 海外にも尾張七宝の技術力や美しさが伝わった反面、優れた作品も多く流出してしまい、昨今になってそれらを...
2018年11月9日1 分1867・パリ①明治時代に作られた七宝焼の名品がなぜヨーロッパに…?? その秘密は「1867」「パリ」の二つがキーワード。 当時の日本の明治時代とフランス・パリの関係は一体何なのか、、 次回②でその謎が明らかに!
2018年10月28日1 分武士の漆器 尾張漆器の特徴は「変わり塗り(鞘塗り)」という技法にある。 通常、漆器は美しい鏡面磨きをもって仕上げとするが、尾張漆器は無骨なザラザラ感を残したまま仕上げとする。江戸時代、侍の都市であった尾張藩で“刀の鞘”を製造していたのがその由来である。刀の鞘はその性質上、傷つきやすい。...
2018年10月28日1 分お助け参上!こうるちゃん【螺鈿(らでん)】 夜光貝やアワビなど、貝を使用した漆器の装飾技法。 貝のキラキラした部分を用いるため、非常に綺麗 である。 【堆朱(ついしゅ)】 朱色の漆を何回も塗ってから模様を彫る技法。模様を 彫るためには厚みが必要なため、数十回と塗る必要が...